■傘とは
傘は英語でアンブレラ(Umbrella)、フランス語でパラソル(Parasol)という。
アンブレラの語源は、影を意味するラテン語で、その意味からも日よけとして傘が使われていたことがよくわかる。雨の多い日本では、傘は必需品で、古来和傘が使われていた。
初めは権力の象徴として公家や貴族など身分の高い人々に使われていたが、時代の変化とともに武士、庶民へと徐々に広く普及していった。
現在のように柄のついた洋傘は、ヨーロッパでは婦人用の日よけとして帽子とともに外出には欠かせないものであったが、18世紀後半イギリスのジョナス・ハンウェーが雨よけに傘をさしてロンドンの街を歩いたことをきっかけに雨傘として男女を問わず使われるようになっていった。その後19世紀後半ごろはアクセサリーとして用いられた。日本では明治以降、文明開化とともに数多くの洋傘がヨーロッパから輸入されるようになり日本髪で着物を着て洋傘をさすことが当時の最新ファッションであった。
コーディネートテクニック アクセサリー編IIより
(文化服装学院編)
■日本における傘の歴史
傘の歴史は古く、日本書紀には、552年、百済を通じて日本に伝来したことが記されています。天蓋式の簡単なもので”きぬがさ”と呼ばれ主に儀式の時に使われました。
日本では傘はかぶるもの、すなわち「笠」の類であったため、一般にはこれを用いていました。平安時代に雨雪を防ぐ笠に長柄をつけ、これを貴人にさしかけたというのがおそらく日本で最初の笠だと言われています。自由に開閉できる傘(洋傘)は1594年に堺の商人が琉球から持ち帰り、豊臣秀吉に献上したのがはじまりです
その後、西洋傘がわが国に渡来したのは文化元年(1804)長崎に入港した唐船が運んできました。当時の西洋傘は唐船が運んでくるので唐傘や南京傘などと名づけて呼んでいました。
ちなみに「蝙蝠傘」(こうもりかさ)と呼ばれるようになったのは、日本古来からある笠が雨風を防ぎ、また光をさえぎるために頭上に被るものであり、また、かぶるというのは、人間の最も大切な頭上にかぶるのだから、かかげるとか、こうむるという、敬語の意味も含んでいます。そのため、はじめて輸入されたとき、さながら蝙蝠(こうもり)が飛ぶ姿に似ているからといって、蝙蝠傘という名称になりましたが、その源流に、このように「こうむる」という意味の「こうむり傘」という名称がありました。
そして大正時代に入り洋装の一般化とともに1921年にムーンバットが洋傘事業を開始しました。
その後工業技術の進歩とともに洋傘も進歩してきました。1980年代には軽くて錆びにくい「グラス骨樹脂」や軽くて丈夫な「カーボン骨」の開発やフライパンやアイロン等で有名な「テフロン加工」のはっ水力に着眼し、はっ水性の高いテフロン加工の傘生地を米国デュポン社と共同開発する等、時代に合わせて、業界をリードし続けています。
次の表は洋傘についての歴史をまとめたものです。
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